徳川から明治の世になった時、
全長30M(うろ覚え)の大便が街に現れ、巨人のうんちかと騒ぎになったと言う話を読んだ事がある。
(たしか、『江戸あへあへ草子』って本だった。とっても面白かったので、機会があれば手にとってみてくだされ)
肥溜からとって来て、竹筒を使って夜中に製造していたらしい。
「そんな混迷の時代であった。」とか美しく纏められていたのもおかしかった記憶がある。

秋のある日、駅へと向かう道すがら、
「そんな混迷の時代かよ!」
私は腹を立てていた。
尋常ではない人糞の臭いが漂っていたのである。
「こんなところで集団脱糞をするなど!モラルではなく人格の問題だ!」
駅には友人を迎えに行ったので、高村は訴えた。
「こんな駅の近くで立ち小便ならぬ、すわりうんこをするなんて、
最近治安が悪いなとは思ってたけど、人心が乱れるにも程があるよ」
友人は肩を叩いて言った。

「銀杏の実が腐った臭いだよ」

高村んちの近所の銀杏はみんな牡だった。ってことにしといてもらった。
そんな混迷の秋であった。

日記なのになぜか思い出を語りはじめるネタのない高村である。

コメント