創価学会が写真集を持ってやって来た
エエ年をしたおっさんが、繰るページも繰るページも嬉しそうに勲章をもらっている、自己愛に満ちた写真集である。

「ノーベル平和賞みたいなのはね、もらわない事にしてるの」

聞いてもいないのにそんな事を言う。
ノミネートされたと言う話も聞かないので、思い込みとはすばらしいものだな、とかおもう。

「本当は勲章なんか欲しくないんだけど、どうしてもと言われて、受け取ってるのよ」

いやいや、そんな人はこんな写真集作って配ったりしませんって。
聖教新聞て、だれそれにあったとか、勲章もらったとかそんなんばっかりやんかさ。
とかおもう。

「ところで、何をしてもらった勲章なんですか?」

「世界平和に貢献したのよ!」

「パラグアイで?」

ちょうど、パラグアイで勲章をもらっていたのだ。
(パラグアイは、政情不安な国で、軍事政権が立ったり座ったり、クーデターが起りそうになったりと、貧乏でそれなりにうにゃうにゃな国で、色々あるところなのだが、軍事独裁政権から平和貢献と言ってもピンと来ないと言うのは分かっていただけるだろうか?)
漠然とし過ぎていて何をしたのかさっぱり分からないが、突っ込んで聞いてもそれ以上でてこなかった。

「お金で勲章を買ってるとか新聞に書かれた事もあるけど、そんなのはひがみよ!」

(私もそう思っているけれど)「別にうらやましくもなんともないですけど」

「いきなりあんなすばらしい人は目指せないものねえ」

(私にこれといった目標はない)「はあ」

「ノーベル平和賞は、どうせ渡そうとしても断られるからもらってないのよ」

創価学会は念を押して帰って行った。

不勉強で申し訳ないですが、ノミネートされたことあるんですか?とも聞けず、

勲章はタダだけど、ノーベル平和賞は『もっとがんばってね』賞金付きだからなあ・・・。
実績がないとなあ・・・。
「世界平和に貢献してる」だけではもらえないわなあ。とも言えず。

信じるものは救われる(幸せである)
違った悟りを開きそうになった高村であった。

ちょろのすけさま、お帰りなさいませ。
Y様、ぜひ御一緒しましょうね。

コメント